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仲田恵利花とアーの人のアーの人こと奥平聡のブログ

時事ネタコントの突っ込んだ話を書きます

「03清水富美加が暴露本出版。不倫経験を告白」 について。

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元ネタ

www.sponichi.co.jp

清水富美加の不倫相手、KANA-BOONの人だったんですね。

ゲスの極み乙女といい、

 

なんでバンドマンばっかりあんなにモテるんだ(激怒)。

考えたこと

四重の弱者の残り二つ

前回、清水富美加さんは「女性、子供、宗教的マイノリティ、無産労働者」の、

4重の弱者の苦しみに耐えていたのではないか?という話を書きました。

で、本人の言葉はそのうち「女性、無産労働者」の二つのことにフォーカスが当たっていたように思います。

今回は残りの二つ。

「子供」「宗教的マイノリティ」の問題を考えていました。

Twitter清水富美加さんのことを「新興宗教二世問題」って言ってる人がいて、

ほうほうって思ったんですが、

僕は「新興宗教二世問題」については良く知らないので、

なるべくこの言葉は使わずに書いてみようと思います。

邪教から娘を救い出せ!

昔々、確か大塚英志さんの本だったと思うんですけど、

そのもっと昔に統一教会かなんかに入信した娘をお父さんが救出する事件があったらしんですね。

あー、これだこれだ。

matome.naver.jp

で、それについて、賛否をはっきりする感じではなかったけど、

「欧米流の個人主義なら、成人した娘が選んだ道なら親が手出ししちゃいかん」

とかいうようなことが書いてあって、うーむとなったことがありました。

確かに、その通りですよね。

たとえばこれが寺の娘がキリスト教徒になったのを親が激怒して、

みたいな話だったら、日本でだって問題になると思います。

じゃあ、親が手出しする大義名分ってなんだ?って考えると、

そりゃあ一つしかなくて、

「娘の幸せのために」ですよね。

じゃあ、娘の幸せって誰が決めるの?

って話になるわけです。

そりゃあもちろん娘自身なわけで、だったら本人が入信を選んだ以上は、

親が連れ戻す大義名分なんてなくなるわけです。

男のロマン(グロ注意)

なんだけど、でもやっぱり変な宗教に走ったら連れ戻す大義はあるんじゃないか?

と、どっかに引っかかるってのが本音な訳で。

それはどんなケースか、って言ったら、

「お父さん、あの時むりやり引き戻してくれてありがとう」

って娘に言われるような場合もあると思うんです。

っていうか、こうなると信じて親は行動を起こすわけです。

実はこれには男のロマン的なものも多分に含まれていて、

例えばヤングな青年とかだと、

悪い男につかまってるカワイイ女子を無理やりでも別れさせて、

「サトシ君、あの時むりやり連れ去ってくれてありがとう」

ってなるのを妄想するもんです。半数は実行しようとするでしょう。

要は「娘のことは自分が一番わかっている」という支配欲、所有欲ですよね。

こうなると途端にグロいので、このへんの切り分けは重要です。

逆に

「そんなケースはありえない。男根主義者のファンタジーだ。そういう物語が溢れているから弱者側もそれを内面化してしまうのだ」

とか言い切るラジカルなご意見は、それはそれで言い過ぎだろうと思うのです。

例えば変なストレスで正常な判断力がなくなってたりするケースもあるでしょう。

一年に一回、思い付きで行動しちゃう癖があるひともいるでしょう。

私個人の実践的な基準としては、やっぱり成人した個人の選択をね、

他人がむりやり変えるってのは「危険」だと思うんですが、

けど、ありがとうと言われるケースもあるとは思うんです。

 かわいそうな子供を救い出せ!

ではもうちょっと見る範囲を広げて、社会が救い出すってのはどうでしょう。

社会っていうか、コミュニティでもいいです。世間様でも。

一番わかりやすい例は、被虐待児の保護ですよね。

ちょくちょく虐待死してしまった子供が報道され、

なんで近所の人や行政が救えなかったんだ!っていう声があがり、

うちの母ちゃんなんかは「無理やりにでも親から引き離してしまえ!」とか

ラジカルなことを言い出します。

他人の子に対して、社会はどれくらい手出し口出しすべきなんでしょうか。

社会による手出し口出しのもっとも一般的な例は、

学校教育ですよね。

国によって制度化されていて、国がデザインした社会で必要な能力を教える。

昔は、学問の大切さを知らない家に生まれた子が、恩師と出会ったことで覚醒して、

家業を継げという親を説得して説得して偉い学者さんになりました、

なんて話も転がってます。

このように、親と社会の希望がズレるケースってのも存在します。

その場合、親を退けてまで社会が手を出す正当性ってのはあるんでしょうか。

親が極端な男尊女卑で、娘は勉強しなくていい!とか言ってた場合、

先生と友達とでこっそり脱走させて東京の大学に入れたりしたら美談です。

一方で、学校が「お国のために死ね」とか言い出した場合、

世間から罵られてもに学校に行かせずに、自分で教育しました、

っていう親の方が称賛されることになります。

例のように、

明らかに親が無知だったり、社会がいびつだったりしたら判断しやすいんですが、

これがちょっとしたズレだったら難しくなります。

親がマクロビオタクで給食あるのに弁当持たされてたらどうでしょう。

マクロビじゃなくて、スポーツ超英才教育でスゴイ栄養の弁当持たされてらどうでしょう。

ベジタリアンで肉くわなかったらどうでしょう。

キリスト教徒で、みんながいただきますの所を「天にまします…」とか始めたらどうでしょう。

原発に熱心な人で、校庭で遊んじゃ行けませんってしてたらどうでしょう。

子供、かわいそうですか?親の意志を尊重すべきですか?

新興宗教二世ってところに寄せれば、

もともと多数派の社会に生きづらいから、新興宗教に入信することを選ぶわけです。

(中には怪しげな神社の新興宗教みたいに、現世利益、金持ちになるために拝むひともいますが)

そこで救われたなら、子供には生きづらい社会を見せることなく、

教団の価値観の中で幸せに暮らしてほしいと思うはずです。

清貧こそが良く生きる知恵だと信じるコミュニティの子を親から引き離し、

世の中はセックス・マネー・バイオレンスだぞって教えるのは正しいのでしょうか。

視点を変えて

と、色々考えてはいるんですが、

お気づき方もいらっしゃるでしょう。

社会がなんとかする!にしても、

親がなんとかする!にしても、

これって本人の意志とは関係ないところでの話なんですよね。

自分は大人で、マジョリティで、(男性で)という前提で、

親と社会との綱引きが始まってるわけです。

これが無意味だとは思いません。結局社会を変えるのはパワーですから。

正しい方向に変えるための議論です。

逆に、「本人の意志」なんてものも、

我々が思っているほどの絶対的なチカラを持つわけではなく、

「他人が口出すのは危険」ってレベルの消極的な選択肢だとも思うわけです。

意志を持つ、意志を明確にするなんてことは、

トレーニングの結果でしか身につきません。

(練習しなくてもできる天才も、練習してもできない奇才もいますが)

女性は歴史的に、そういうトレーニングを受けさせてもらえなかったため、

昔は男性の意志こそすべてだったんだと思います。

子供はトレーニング中の存在です。

さて、

そのように意志が固まっていない、意志を認識することができない存在の意志を、

代弁できるのは果たして誰なんでしょうか?

本人の決断について

歴史的に、若い女性は男性にとって欲望の対称でもあるし、資産です。

運用すれば金になります。

利用すれば政治的発言力も強まります。

まして、清水富美加さんは才能あふれる女優です。

さぞいろんなパワーが、彼女を自分の陣営に引き込もうと動いたことでしょう。

私だって、彼女にテレビや映画の世界で活動してほしいと思ってます。

自分とかけ離れた世界の住人になって欲しくないという欲望をもって書いてます。

新興宗教二世であれば、親と社会の綱引きにも晒されてきたのでしょう。

自分を巡って大人たちが綱引きを繰り広げていて、

とうとう我慢の限界に達して「引退、出家宣言」。

遂に自分の意志を見せた!と見えないこともないのですが、

その選んだ先が、教祖が有名人を勝手に代弁する教団だってのは、

なんかもうことばがでません。3000字も書いてるけど。

 

そもそも強いストレス下では正常な判断なんてできないしねえ(未練)

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